神在祭2

龍蛇神

龍蛇神を祀る三方

龍蛇(りゅうじゃ)
 神在月の頃になると荒れる日が多くなってきます。これを地元では「お忌荒れ」と云い、古歌に「神在月のしるしとて龍蛇のあがるゑづみ津の濱」とあるように、近郷の浦に「龍蛇さん」がおあがりになります。龍蛇さんは古来より神秘され、水難火災諸厄諸災防除の御利益があると信仰されてきました。
当社では「龍蛇神」と呼び、八百万の神々の先触、あるいは竜宮の使いとしてお上がりになると伝えます。この龍蛇神の尻尾には斑紋があり、それが当社正中殿の御神紋「扇」であり全身を覆う鱗形を左右両殿の神紋「亀甲」と「輪違」をあらわしたものであると云います。歴代松江藩の藩主の信仰も厚く、献上された朱塗りの金蒔絵が施された三方にお祀りし、祭が終わると松江城三の丸へ捧持し、藩主以下拝礼したと伝えます。
 鹿島町古浦に住む板橋氏は、給五斗の禄を受けて龍蛇上げを行う「龍蛇祝(りゅうじゃはふり)」という役目を明治まで世襲で行ってきました。「龍蛇さん」をあげると褒美として米一俵を授かるという伝承はこれを誤伝したものだと云います。「龍蛇祝」は平時に当社神領の佐陀浦と周辺の山を管理し、神在月の頃になると佐陀浦で龍蛇を見張り、浦人が龍蛇を上げるとそれを当社へ奉ずる役で、板橋家では当時を偲ぶ佐陀の龍蛇と認める印を神棚に今も大切に祀っておられます。

『ぜんざい発祥の地』佐太神社
 25日は神々をお送りする神等去出(からさで)神事が執り行われます。この日はカラサデさんといわれ、神前に供えていた餅と小豆を一緒に煮て小豆雑煮を作り再び供えていました。これを「神在餅(じんざいもち)」と呼び、今も宮司宅では家例としてこの日に小豆雑煮を作り、屋敷内の祖霊社、稲荷社、邸内の歳神にお供えいたします。昔は里人の間でもこの日の朝に餅をつ搗き参拝する慣わしがあり、参拝するものは必ず一重ねのオカガミ(餅)をもって参った後、小豆を入れた雑煮餅を作って家の神棚に供えてから銘々も頂く風習があったようです。この「神在餅」が転化して「ぜんざい」になったといわれているのです。
 松江藩の地誌『雲陽誌(うんようし)』佐陀大社の項に「此祭日俚民白餅を小豆にて煮家ことに食これを神在餅といふ出雲の国にはしまる世間せんさい餅といふはあやまりなり」とあります。その他、いくつかの古文献にも「神在餅」についての記述があるところから当社は「ぜんざい発祥の地」であるといわれています。

神等去出(からさで)神事
 カラサデの語には神等去出が充てられていますがカラは木枯らしのカラ、サデはサデル(一掃する)の意で、この季節に吹く冷たく激しい風のことであるとも云いますが定かではありません。
 25日の夜、神事が始まる前に境内の灯りは全て消され、齋主以下齋員は直会殿に参集し、修祓の後、境内南の参進口に進み、注連口の神事を行い、注連縄を解き、本殿三社に向い古例の拝礼を行います。神事の際、祝詞は秘音で一般の者は注連縄の内側の神事も窺う事はできません。本殿前での拝礼が終わると直会殿上間において秘儀の榊葉の神酒献撰が執り行われ、境内には神送のお伴をする氏子、崇敬者が百名以上集まり、召し立てが始まります。それぞれ高張提灯、奉幣、大榊などを奉持し、覆面手袋で神籬(ひもろぎ)を捧持した齋員を中心に神社より西北2キロほどはなれた神ノ目山(かんのめやま)の祭場へ向かいます。

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